雑記

ロゴ作ってもらった


前に自分でデザインしたらくがきが妙に目立つのでアイコンにもってこいだなと思いデザイナーさんに安く見やすくデザインし直してもらった。

元のらくがきデザイン↓




下のが第一稿。

この段階で大分気に入ってたというか、これでもいいんだけど
念のため他のも見たいので少し修正してもらい。

というデザインになった。
満足満足。

早速ツイッターのアイコンにしてみたら




とにかく見やすくていい。
前はアルバムのジャケットをアイコンにしてたけど
それより遥かにいいね。

思い出は行間にある

いつも寝る前にパソコンで何を聞きながら寝ようかと迷っている。
音楽だとうるさいし、物語があるオーディオブックだと世界に没入して聞き入ってしまう。

ゲーム実況だとゲーム音楽がうるさいし、ラジオも内容が気になってしまう。
森の音とか水の音でも寝れるけど、起きてる間中はずっと何かに触れていたいので結局
メタルギアソリッドの無線を寝る前のBGMとしてヘビーローテーションしてしまう。
これなら話しと話しの間に脈絡があまりないので、どこから聞いても大丈夫。

昨日聞きながらはっとした台詞があったので、ぜひご紹介したい。

状況はメイリンとスネークの二人のセーブでの無線だ。

 

 

メイ・リン:
私との思い出もセーブしておいてね。

スネーク:
思いでは、君の自慢のシステムでも記録できない。
デジタルに変換され、バーストした時には消去されている。

メイ・リン:
大丈夫。私のシステムは一言一句逃さないわ。

スネーク:
思い出は言葉や映像じゃない。活字で言うところの行間にあるものだ。

メイ・リン:
わからないわ。デジタルに出来ないことなんてない。

スネーク:
じゃあ、今俺が思ってることを記録できるか?

メイ・リン:
そんなの記録できないわ。言葉にしないと・・・・。

スネーク:
そうだ、それが思い出だ

メイ・リン:
わからないわ。

スネーク:
いくら情報収集技術が進もうと、人の心は傍受はできない。

メイ・リン:
いつか、できるわ。

スネーク:
それにはまず人の気持ちを理解することだ。メイ・リン。

メイ・リン:
理解、どうしたらいいの?

スネーク:
誰かを好きになることだ。

 

以上。

なんかノスタルジーな会話で僕は結構好きだ。
特にこの思い出は言葉や映像じゃない。活字で言うところの行間にあるものだ。
という台詞がよくて、僕が小説とか映画とかを見た後に感じる寂しさとか喜びとかの出所は
この行間を自分で想像して味わってる時間なんじゃないかと思った。

その時の感情を思い出すことが「思い出」ということを表した素晴らしい会話のような気がする。
この会話では比喩で行間って言葉を使ってるけど、活字だって「思い出」を記録できないんだから。

関係ないけど、メイ・リンなんで国籍中国なのに政府の仕事できてるんだ?

ヨブ記

小さい頃に近くに教会があって、無神論者なのに友達と遊びたいという理由だけで毎週日曜日教会に通っていた。
ぶっちゃけ旧約聖書のぶっ飛びた話しは子供ながら面白かったけど、キリストが出てきた辺りでなんか面白くなくなってしまった。
漫画でいうと、最高の悪役が引っ込んで別のどうでもいい悪役が活躍し始めるというなんともカルピスを甘くなくなるまで薄めたジャンプ的な展開に、子供ながら思ったものだ。
新約聖書の展開にはエンターテイメント性が足りない!

すっかり飽きて先生の話なんかほっといて絵を書いたり、ヨブ記を読み返したり、友達とふざけたり、ヨブ記を読み返したりしてた。
ヨブ記は本当に面白い。神=自然という定義付けしないとこんな風にはならないだろっていう一大スペクタクルだ。
神様はヨブの信仰心を試すために、悪魔に

「あいつの信仰心は本物だからキツイことをなんでもしてみろ」

と、悪魔をけしかけ、家畜は死ぬ、奥さんは出て行く、召使いは夜盗に殺される、子供は家の下敷きになるわでもう大変。
しかし、それでもヨブは神様への信仰心を捨てることはなかった。

それを見た悪魔に神は一言ドヤ顔で

「ほらな」

というなんという神々の遊びw
旧約聖書はこういう人に降りかかる理不尽をかしこまって書いてあるから余計面白いのでぜひ一回くらい読んで見てください。

小屋づくり

先日母の家に泊まった時の朝。
10時くらいに叩き起こされて

「さぁ、小屋を作るぞ」

と母に言われ、寝ぼけ眼で外に出ると組みかの鉄でできた棒が置いてあり
これで農作業用の道具のビニール小屋を作るらしい、
と、早速何組か合体させて枠組みを作ろうと二人でせっせと鉄棒を運んで長さを測ると

「でかいな」

と母、まさか
まさかまさか、

そう、完全にノープランだったのだ。
折角持ってきた鉄棒は即いらないものになったので庭の端へ。

代わりに庭の端に置いてあった木材の廃材でインスタント小屋を作ることに、
何個か組み合わせて試行錯誤、気がついたらさっきまで12時だったのにもう15時だよ。
時が経つのは早いものだ。
やっとのおもいで出来た、今にも倒れそうで、見事な掘っ立て小屋はトリックアートかと思うくらい歪んでいた。
うーん、今まで建築というものにそれほど関心はなかったのだけど、実際やってみると結構たのしい。

石作りの家とか結構好きなんだけど、あんなもんやり始めたらキリがないので
いつかこの規模の掘っ立て小屋をまた作りたいものだ。

今回この掘っ立て小屋を作ってて思い出したことが一つある。
たしか幼稚園の時の遠足で、友達と遊んびながら歩いていたら
一軒の掘っ立て小屋があった。それは薪を一時的に置いておくものだったのだが
その小屋もまたボロい。とにかくボロい。

友達はキャッキャしながらその小屋の柱をなぜか蹴って遊んでいて
ガシャーんと音がした時にはもう遅かった。
小屋は崩壊、薪は散乱、友達は目の前で起きた事件が把握できず泣き喚き。
後ろにいたその子の親からは怒号が飛び交い。
でかい音にびっくりした小屋の持ち主は、自分のボロい小屋が更にボロくなってるとこに気づきこれまた怒号。

平和で飽食な日本で暮らしている子供では中々味わえない地獄絵図っぷりに
僕も子供ながら

「ああ、いくらボロい小屋でも勝手に破壊しちゃいけないんだな」

と、身を削って教えてくれた友達に感謝するのであった。

自然派ママ

先日、家の貧困が原因であまりいいご飯を食べられない子供達のために、
格安でご飯を提供している「子供食堂」を開いている方達の会議にご飯を食べに遊びいった。
ひき肉の入ったキーマカレーに、大根とニンジンのサラダ、バターナッツのスープと
普段「子供食堂」で70食以上用意してる人たちが作ったお昼ご飯が豪華すぎて自分の家の周りにあるチェーン店の味がどれもこれもしょぼく感じた。
馬鹿舌の僕は感動するくらいうまいんだから間違いない。

この会議の中に、普段自然食品や製品を愛する人たちが自分たちで物を持ち寄って集まる”お祭り”の主催者がいた。
そのお祭りは結構色んな人が来るのだが、やはりターゲットは自然にやさしいものが好きな人。
その人いわく、この子供食堂も子供だけではなく色んな年齢層が集まるお祭りみたいなものにしたいらしい。
なので、集めるには何時から何時まで運営するのがいいんだろうという話になった。

ターゲットはお年寄り~子供までという話しだが、実際にお年寄りと子供が集まるのは結構簡単だ。
とは思ってたんだけど、お年寄りは夜の6時前には寝る人が多いし。
子供だって小学生に入ればけっこう夜遅くになってしまう。

長い時間運営していれば多くの年齢層をカバーすることができるが
その代わりスタッフにも多くの負担がかかってしまう。
そういう話を何分かしていると、色んな人たちが集まるにはどういうことをすればいいのかという話しになり
例えばFacebookやTwitterなどのSNSの利用など、どこかで聞いたことのある様々な案が立ち並ぶ。

なぜこんなにも色んな人を呼びたいのかというと、彼女達のコミュニティでは”自然派のママ”しか集まらないらしく
そうするとやはりターゲットがあまりにも縛られてしまう。
僕はこの話を聞いていながら”自然派のママ”という単語が妙に面白かったので、
じゃあ科学派のママやパパもいるのかなと色々余計なことを考えてしまった。

話しを戻して色々考えると一番重要なのは、僕みたいな科学派の青年?(多分)を
自然派のママの群れに放り込んでも、一切合財話しが合わない。

自然派のママと科学派の青年には、黄河よりも広い川が流れている。
僕の知識が偏ってるのもあるし、逆もあるのが問題だ。
話しが合わない人と話しをすることほど、大変なことがないと思うが(最近やっと楽しめるようになった)

やっぱり具体的に何を実践してるのか、どういう目的なのかを明確に伝えていくのが重要という話しになり
とりあえず、誰でもいいから集まって安くご飯を食べようという話しに落ち着いた。

こういう地域を巻き込むイベントを主催するのは、多くのパワーと友人が必要なので
改めて自分とは人種がちがうなぁーと思うのであった。
人を集められる人望というものは、それだけで才能だと思うのです。

 

 

高いクッキー

知り合いの女性は防腐剤など科学的な添加物を極力入れないクッキーを売っている。
当然ながらそのクッキーは高い、100円のクッキーで満足してる僕の馬鹿舌からすると値段は上の上だと思ってしまう。
しかし、クッキーもパンの材料も全てを自家製の物で揃えたとしても、製粉などの段階でもう100円という価格を個人で実現することは難しい
当然個人で作ったものは相対的に高くなってしまうのは必然だ。
購買者は無農薬という安全を買うことができるので、それ込みの値段だと思って買うに決まっている。
決まっていると思ったのだが現実はそういう風には出来ていないらしく、店の前を通る人の少数に「高い」と言われてかなり傷ついたらしい。

無知な僕が驚いたのはこの「高い」に対して知り合いの女性が結構傷ついてしまったという点だ。
普通コンビニなどと比較すれば、自分が売っているクッキーは値段がかなり高いものという認識を持っていると思ってたのだが。
実際に言われるのと自分が思ってるのでは違うというのが分かる。
購買者に製作者の努力が100%伝わるのは不可能なので、伝える努力をしないといけない。

多分この正解は、なぜこんなに高いのかという、
普段コンビニで売っているクッキーとはこんなにも入ってる物、安全性が違いますよというものを伝える必要があるのだ。
それでも高いという人は、僕みたいにコンビニのプレーンクッキーを片手にコーラでも飲んでFOXニュースでも見てりゃいいんだよな。